チヨ(20代女性):
1年前に無くなった妹の誕生日、大好きだったモンブランをお供えしたのですが、友達から故人の誕生日は祝うものではないと言われました。
大人になってからなかなか会えなくなったけど誕生日のお祝いメールだけはずっとしていたので、今年はメールの代わりにモンブランをと思ったのですが、亡くなった人の誕生日を祝うのはダメなのでしょうか?

テンションアゲヲ:
ヘイヘイヘーーイ!ポジティブかい?テンションアゲていこうぜ!!
モンブランかぁ〜、俺も近所のモンブランが大好物なんだ。
食べる直前にあのくるくるした部分をのせてくれるんだけど、これがまたふわっふわっで美味いんだよな〜⤴
ただ、時間が経つとしぼんでしまうのが残念なところだぜ。
いつも通り話が脱線したけど、身近な故人の誕生日、祝って良いのか悪いのか判断が難しいよな。
そんなチヨにはこの言葉を贈るぜ。
故人の誕生日は感謝の日
これはアメリカの劇作家ソーントン・ワイルダーってやつの言葉だ。
確かに誕生日は祝い事なので、友達から見るとケーキは意外に思うのかもしれないけど、身内なら問題ないだろ。
「祝い」ではなく「感謝」や「偲ぶ」気持ちでの誕生日なら亡くなった妹もきっと喜んでくれているはずだ。
これはなにかしてもらった時に、「ゴメン」と言うのか「ありがとう」と言うのかに似ているな。
そっちの方がポジティブで、俺は好きだぜ。
ただ、生きているはずの年齢を数え悲しむ誕生日は虚しく、亡くなった魂も成仏しきれないという説もあるので、年齢は数えない方が良いと言われているぜ。
俺ももう年齢を数えたくないので、誕生日が来ても数えないようにしているんだ。HAHAHA

ずっと記憶の片隅にいることが大切
近所のモンブランが時間が経ってしぼむように、人の記憶も時間とともに薄れてしまうものだ。
故人にとって誰の記憶にも残らないことが一番ツライことだと思うので、誕生日や命日は家族が故人を思い出して語り合える日になると供養になり、生きている家族にとっても慰めやひとつの区切りにするのが最高にハッピーだよな。
大切なのは故人をどれだけ思っているかの気持ちなので、家族や身内の場合はどんな形でも正解も間違いもないんだぜ。
ただし、これが外部の人になると話は違うので、相手の家族の事を考えた対応をしてくれよな。
誕生日は自分の心のままに故人への気持ちを表現し、日頃の報告や思い出話、見守ってくれていることに感謝して、故人の分もポジティブに生きようと決意する日にしようぜ⤴⤴
死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。